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2013.03.16

そして、彼は現れた。

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ふらりと、彼は歌舞伎町のホテルの喫茶室に現れた。
これ、合掌造りですよね。と壁のパネルを指差した彼は、白川村の隣のさらに小さな村から、
「口減らし」で東京に就職し、現在は都内でがれき処理の仕事をしていると言う。
70歳近い彼が、東京に来たのは、今からおよそ50年前。1960年代。

上京してゴミ回収業に就いた彼は、寮から毎週末になると、歌舞伎町のACBに通った。
さほど広くないACBのフロアは、生バンドが演奏する、「悲しき雨音」(カスケーズ)、「ヘイ・ミスターポストマン」(ビートルズ)などに合わせて、17-18歳の若者が集まり、ダンスに興じた。
「酒が飲みたいならゴールデン街に行け」とよく言われたそうで、ACBではレモンスカッシュなどを飲みながら、踊りまくった。

新しい曲は、ACBで覚えた。

ACBは、「ディスコ」でも「ダンスホール」でもなく、単に「ACB」としか呼ばれていなかった。

男性は男性で一列になって踊っていたが、遊び慣れた女の子が手を取ってダンスに誘ってくれた。
女の子たちは、美容師が多かった。
彼は、ここで出会った女の子と結婚した。

現在行っている、がれき処理の仕事はとても危険で、中でもガスボンベは爆発することもよくあり、気が抜けない。
木材/コンクリート/金属/プラスティックetc.をより分ける仕事は、ミャンマーや中国から来た労働者が行っている。

がれき処理の仕事は、使命感に基づいて、かなり安い値段で請け負っている。
仕事は楽しい。いつまでも一生懸命働いて、そのままコロッと死にたいね。

彼は言っていた。

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